こんにちは、ろむです。
早々にMinecraftの映画を見てきました。映画の企画って2014年には上がっていたんですよ、11年越しに悲願が成就されたわけですね。私のMinecraft歴も2013年ぐらいからなのでほとんど同じくらいの時期です、ウソだと言ってくれ、おれはまだ若い。
いつも通り普通にネタバレ含みます、これからという方はどうかご控え願います。映画は純粋な気持ちで観てほしいです。
私の人生の中でも大きな割合を占めている作品でもあるMinecraftが映画化、なんて夢のような話です...が、PVを見た感じ...なんか違う感が強く、結構下動画みたいな感じでした。
https://youtu.be/tRuZbGP5aHo?si=7icPVFN6ejfpriQd
そんな具合でPVの時点で結構コケている感じがしており、期待低めに観に行きましたが、悪い意味で想定通りのものをお出しされてちょっとガッカリしています。
ストーリーは概ねオリジナルのMinecraftベースにLegendsが加わった感じだと思います。
冒頭のあらすじはコミカルで面白くはあったのですが、それは本来できる限り本筋の話に添えるものであり、10分ほどもの尺を取るには冗長すぎると思います。冒頭の話が長いものだからこのままストーリーが進行していくものだと思ったくらいです。
土造りの建造物や豆腐建築などMinecraftの初々しい感覚のようなものは表現されているのですが、ストーリーが進むにつれてどんどんオリジナル要素が増えていき、Minecraftらしさが影を潜め、普通の映画になっていっているような感じがしました。途中から「知らないインディーゲーが映画化したもの」を観ているような、そんな心持ちで観ていました。私の青春はそこで途絶えた。
どこがガッカリな感じかと言われればいくつかあるのですが、大きくわけて2点ほどかと思っています。
1.Minecraft味が薄い
MInecraftといえばマインとクラフト(そりゃそう)、それに建築ですが、本映画、それほどMinecraftらしい描写はないかと。瞬間的なものづくりに終始しており、登場する建造物とかも「こうやって建てて~」みたいな話はそれほど出てこないのであくまで景観として終ってしまっています。別にMinecraftでやらなくてもこの映画は成立しただろうな、という感じがずっとしてました。
先ほどMinecraftらしさが影を潜めて、と言いましたが、1つは発明家を夢見る少年ヘンリーがスティーブの見せた「クラフト」に感化され、オリジナルのレシピを考案するシーン。それから別のシーンでアイアンゴーレムを造り出すシーンで、意図せず新種のアイアンゴーレムを造り出してしまったシーンが挙げられると思います。
前者はヘンリーは現実世界のものをレシピに織り込み、小型のラッパ銃のようなものをクラフトします。そのレシピなのですが、ポテトピザを入れたのです。ラッパ銃のどこにポテトピザがあるんです?確かにMinecraftのクラフトはめちゃくちゃです。けれども3×3の中で構成する物質を近づけたり、レシピの形をそれとなく似せるなど、嘘に説得力を持たせています。このシーンは完全に嘘の製法で嘘を作っている。
後者は来る侵略に備えてアイアンゴーレムを準備するヘンリーたち。あらかじめ準備した鉄ブロックの隊列にかぼちゃを載せて大量召喚していく、ウィザーの大量召喚とかでもやるようなお馴染みの手法ですが、ヘンリーは誤ってかぼちゃではなくBoots of Swiftness(Dungeonsのアーティファクト)を載せてしまいます。するとみるみる反応し、Super Iron golem(Wiki曰く)という機動力を兼ね備えたオリジナルのアイアンゴーレムが生まれたのです。このシーンも、ブーツに反応するのはいいし、オリジナルのアイアンゴーレムが生まれることは別にいいのですが、なんでかぼちゃのパーツと入れ替わりで出てくるんです?そのパーツ、頭のですよね?という感じが強かったです。
2.選択
すべてが終わり、彼らは元居た世界に帰ります。
ここまでのシーンで、彼らは自分たちの世界のことをずっと「現実」と言っているのが違和感の始まりです。いくらブロックまみれのヘンテコな世界であっても、彼らは確かにMinecraftの世界に現実として行ったのだからこれは「異世界/別の世界」であって架空の世界ではないはずです(それに本作の世界にはMinecraftは存在しておらず、ゲームの世界という思考には至らないはずです)。だから、この場合は「自分たちの世界/元いた世界」に帰る、が適切だと思うのです。そのために「現実」の表現によってずっとMinecraftの世界に居たスティーブが引きこもりみたいになってしまう。それがいくらゲームの作品だからと言って、また、「現実」に戻る、その意味が人生においてはかなり重要であるからといっても、いずれはゲームをやめて現実に戻って社会で生活すべきというニュアンスを自分たちの語る夢(ゲーム)の中でも言うべきでないと思います。私たちはあなたたちが語る夢に惹かれて劇場に来たのだから。
とはいえ、酷評をしていますが、悪い映画ではないのです。評価サイトを見ている感じ、概ね好評な印象を受けまして、私の挙げている悪い点はかならずしも作品を完全に貶めている要素ではないです。
もちろん面白いシーンはいくつかありましたし、ファンサもありました。
特にピグリンの魔女が不意打ちを狙ってナイフで急所を狙うのですが、普通にバレて失敗し、それに懲りずに同じ手法で何度も挑んでくるシーンは今まで他の作品になく、だいぶ好きなシーンです。それに、ファンサとしてMInecraftシリーズのアイテムが登場することはもちろん、あるシーンでは「Jeb_」が登場しており、ちょっと感動しました。ほかにもMinecraft関連の海外インフルエンサーとかも多数登場しているらしいです、しらなんだ...。
また、これら感想を書いたうえ、彩季と話をした上で至った考えではあるのですが、たぶん私や彩季が望んでいた映画が放映されたとして、それが成功したとは言えないと思います。彩季よろしく、私もMinecraftストーリーモードのようなものや、Music Video(個人的にはThrough the Nightあたりが好きです)風な感じを望んでいたのですが、Minecraftを知らない人が意外にも多いそう(彩季談)で、特にMinecraftに熱中して映画もみるターゲット層である小学校高学年~中学生および親御さんは、純粋な気持ちで楽しめるでしょう。ミュージカル調もあって、Music Video風に意識している感じもありますから、ファンメイド作品に多少触れていても全然楽しめます。
それに、ファンコミュニティが発達しすぎているせいで、かえってMinecraftの人型キャラが登場したとてファンメイド感が強くなりすぎて、映画みが薄れ、見劣りしてしまいます。レゴのキャラクターたちは「レゴの人」という個性を確立しきっていますが、MinecraftのキャラクターはまだIPの確立できていないローポリの人間でしかないのかもしれないです。マリオの映画との対比はできますが、マリオのキャリアに比べて、Minecraftのキャリアは圧倒的に浅いです...。だからこそ、Minecraftのゲームの些細な要素については説明が必要になってくるし、私たちの望んでいた作品が放映されたとしたら、コアなプレイヤー層には刺さりますが、多くの人にとってはよくわからない作品となってしまい、「みんなのための映画」ではなくなり、結果として評価は高いものの、商売として失敗した作品になったかもしれないです。
自分が熱中した作品だからこそ、当初のイメージとの乖離に苦しい表情をしながら見ていましたが、考えてもみればMojangがMicrosoftから買収されたときから、当初の雰囲気とは方向性も変化していますし、私のイメージ=Minecraftのイメージでないことは確かです。
私のような懐古厨クソ老害みたいな思想に至ることなく楽しめたとしたら、間違いなくあなたはメインターゲットです。
以上...。